昨夜は広い風呂にゆったり浸かり、魚づくしの夕食を食べ、よく眠ったお陰で、今朝は昨日の体調不良はどこへやら・・・。一旦家に帰って体調を整えて再挑戦の予定でいたが、この分では親不知まで行けそうだ。
(画像はクリックで拡大します)
![]() 歩道のない洞門 |
今日と明日はこのルート最大の難所「親不知・子不知」を通る。 もっとも今は昔のように波にさらわれる危険はないものの、新しい危険がある。 国道8号線はトラックの往来が激い上に、洞門と言われる落石や雪崩防止の半トンネルを通らなければならない。 しかもこの洞門には歩道がなく、車を気にしながらの通行となる。 車の運転手も想定外の歩行者に迷惑この上ないはずだ。 |
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| 何とかこの洞門を通るルートを外したく、新潟県に長距離自然歩道の資料を請求したところ、越中境から山に入り、上路(あげろ)経由で栂海新道(つがみしんどう)の二本松に合流し、栂海新道を下って「親不知観光ホテル」の前に出る自然歩道があることが分かった。 これを利用すれば、洞門を通らず、しかも新潟の自然歩道も歩けることになり一石二鳥だ。(地図上の青紫色の線) |
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| 泊の海浜公園を過ぎた付近で後ろから「おーい」と言う声。 こんな所で知っている人に会うはずはないが・・・・、と思って振り返ると、おとといの朝と昨日の朝会った自転車旅行している韓国の青年だった。 おとといは富山の「しんきろう自転車道」で、きのうは片貝川の先の無料のキャンプ場で休憩中の彼に会った。彼はそのキャンプ場で2泊したそうだ。 お互いに写真を一枚づつ撮って別れた。 若い彼は元気いっぱいで見る見る小さくなって行った。 |
![]() 昨日の韓国の青年が追いついて来た |
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| 地図で確認をしないまま「大鷲山登山口」の道標を自然歩道の入口と勘違いして、200mほど登ってから、自然歩道らしからぬ山道に疑問を感じてGPSで確かめたら、全く違う山に登っていた。 予定のルートは上路の先までは広い車道だ。 戻って予定ルートをしばらく進んだが、体調が良くなったとは言え、昨日の事もあるので山の中で倒れた場合を考えて、大事を取って8号線を歩くことにした。 市振の「道の駅」で早めの昼食を済ませた。 海岸線をよく見ると、8号線のかなり下の方に護岸工事用の車両が通る道がある。あれを歩けば車を気にしないで歩けそうだ。 いよいよ恐怖の洞門が目前に迫った。 |
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![]() 昔も今も親不知は難所 |
![]() 工事用の歩道か? |
見るとその海側に2mほどの歩道のような通路がある。 手すりもしっかりしている。多分工事用のものだろうけど、これを通らせてもらう。 右側の洞門の中を車がバンバン通っているが全く気にならない。 しかもGPSの電波もよく受信できていて好都合だ。 |
| しかし、この安全な歩道(?)も3分の1ほどで終わり、残り3分の2は危険な洞門に戻らなければならなくなった。 やっぱり下の護岸堤の上を歩くべきだったと後悔したが、戻る気にもならないので危険な洞門の中を歩くことにした。 懐中電灯を後方に向け振り回しながら、度々後ろを振り返り、車が近づくと支柱と支柱の間の凹みに身を隠して車が通り過ぎるのを待つ。 こんなことの繰り返しでやっと1本目の洞門は終わった。2本目は短かった。 釣り人や海水浴客も歩いていたので、3本目は海岸に下りて護岸堤の上を歩かせてもらった。 釣り人に尋ねてみると「行ったことがないので知らないけど、多分この先は行き止まりですよ」と言うことだった。 戻ることを覚悟で行ってみると、やっぱり元の下り口に戻らなければならない羽目になった。 |
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| やっぱりここで行き止まり | 70mほどの急な階段を登った | トンネルを迂回する第二世代の道 |
| しかし、よく見ると、急な崖にコンクリートの階段が設けてある。 約70mはあるだろうか? 更に最後は垂直の10段がある。 戻るのが嫌だったらこれを登るしかない。 余分なものはリュックに仕舞い、靴紐を締め直し、水を2口飲んで、気を引き締め、3点支持の要領で慎重に登り始めた。 登っている途中に不整脈で気を失わないことを神仏に祈りつつ・・・ まだ若かった頃だが、車の運転中に不整脈が起こり、目の前が真っ暗になった。慌ててブレーキを踏んだ。数十秒で視野は回復した。 そんな事が数ヶ月ほど続いた。 妻は車の免許を取るとこを嫌がっていたが、こんな事件(?)があってから直ぐに自動車学校に通うようになった。 階段を登りながら、忘れかけていた昔の事件を思い出していた。 最後の垂直梯子を登り終えてホッとすると同時に汗がドッと噴き出た。 何事もなく無事登れたことを仏様(私の場合祖父母・父母と殆んど同義語)に感謝した。 これで3本目と4本目の半分はパスできた。 最後のトンネルは旧道が正式な自転車歩行者専用道として指定されていたので、安心してそこを歩いた。 |
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| 「如砥如矢(とのごとく矢のごとし)」 | 第二世代の道 | 親不知の模型 |
| その道の途中にそびえている垂直の一枚岩に『如砥如矢(とのごとく矢のごとし)』の文字が刻まれていた。 説明板には、明治11年明治天皇の北陸御巡幸を契機に国道開通機運が高まり、明治16年に日本海側の大動脈が開通した。 「砥石のように滑らかで矢のように早い道」が完成した喜びを表した文字を刻んだものだ、と書いてあった。 第一世代の旧北陸街道の最大の難所「親不知」は遥か100mの断崖の下に波音だけが聞こえていた。 岸壁には「カラスウリ」の蔓がからまり、レース模様の花がたくさん咲いていた。 日が沈んで暗くなり始めた頃、スローモーションのように開いてくる花を、蚊に刺されながら見ていたことがあるが、ここではまだお昼過ぎだというのに、既に咲ききっていた。 |
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上高地で有名なウォルター・ウェストンは明治27年7月日本アルプスの北端、親不知を訪れて、その景観に感動し、一枚岩に刻まれた「如砥如矢」についても、彼の著書の中で紹介しているそうだ。 |
| カラスウリの花 | 上高地で有名なウエストン像 | |
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| 今日の宿 | 親不知の海 | 第一世代の道の難所 |
| こうして私の難所越えも無事終わって午後2時に宿に着いた。 海岸まで階段の道を下ると海水浴客が数人いた。(上中央) 昔の難所をこの目で見て驚いた。多少の浜辺はあるのかと思っていたが全くなく、完全に海だ。(上右) 案内板には加賀の殿様が参勤交代で通るときは、大勢の人が海に入り人が波消しブロックの役目をした、と書いてあった。 (舟で渡ることはできなかったのだろうか?) |
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| この明治時代に完成した第二世代の道(現在は青海町道天険親不知線)は国土交通省選定の「日本の道100選」に選定されていた。(右) | 日本の道100選の表示板 | |
















